令和元年東日本台風(台風19号)ふりかえり

今日は台風19号から丸3年経ったということで、

改めて私の台風被害を振り返りたいと思います。

被災体験4コマ「東日本台風記」として、ここにも残していましたが、

では実際どんな被害だったのかを、写真でしっかりお伝えしようと思います。

私が住んでいたマンションが、すっぽり浸水しています。

深夜0時半頃、1階に住んでいた私は、就寝前に玄関を開け外の様子を見たところ、玄関前に水が上がってきたのを確認、すぐ夫と犬と垂直避難しました。

ほんの10分前後であっという間に天井近くまで濁流が押し寄せました。


夜が明けると愕然としました。陸の孤島となったマンションの住人は、昼頃に救助ボートが来るまで本当になすすべ無しでした。


「皆が家に避難していると、一軒一軒救出するから時間がかかるし、やはり危ない。だから避難所などに早めに避難して、というんだよ。」と優しくレスキューの方に諭され、本当にハッとしました。


確かに・・後日聞いた話ですが、一階の角部屋の住人さんは窓から突然濁流が入ってきて、慌ててベランダから逃げたそうです。ということは、玄関は出られない状況になっていたということ・・相当怖かったろうと思います。私も玄関を開けず就寝していたら・・もしかしたら・・

2日後、水が引いて家の中に入ると・・・

床板が剥がれ、壁が破壊されて隣人の部屋が見える・・・


手前にあるのはドアです


私の部屋だったところ。壁に描きかけのイラストが残っています


洗濯機。脱衣所です。洗濯機の隣に置いていた棚は玄関前にありました


リビングです。0時半頃浸水したはずですが、時計は23時半だなあ。あれ。

手前の白いのは冷蔵庫。リビング内に避難させていた自転車は、

なんとベランダに押し流されていました。


阿武隈川です。左を見ていただくと・・いまにも土手を飲み込みそうな水量。



私は、「台風は津波ほどじゃない」と考えていました。

台風はまず事前情報があるので、対策がとれます。だけど対策は万全ではありませんでした。そして天災は何事もなめてはいけないと思い知りました。


津波で流された場所にまた家や町をつくることに、私は当初難色を示していましたが、「対策をとれば大丈夫」という心理が人間にはあるようです。

いつのまにか町の再建を願い、自分もまた浸水危険区域に住み、家を建てています。


でもそうしないと、どこにも暮らせません。

裏返せば、日本中、世界中で天災は起こります。


これから毎年台風、地震、そのうち竜巻も珍しくなくなるかもしれません。

どんなことがあっても、命だけ守っていれば、何度でも生活は再建できます。

改めてそう思いました。


ただこういった場合、再建に力を注ぎすぎ、心身を酷使してしまいます。

そしてそれに気付かない。私はそれが一番気がかりです。


被災者の家の片付け等は、ボランティアさんがいなければ、

本当に何ヶ月もかかるであろう作業です。

本当に身も心もボロボロになります。


普通にお風呂に入っているとき、お茶を飲みながらテレビを見ているとき、

ふとした「日常」を感じるとき、同時に被災当時の家の有様を思い出しては、

「あのときボランティアさんが来てくれなかったら・・」と思うのです。

被災者は、何日も何年も、寄り添ってくれた人の恩を忘れません。


ひとりでも生き延びる「自助」の意識と、限界を知って。

これからもっともっと、支え合い・持ちつ持たれつの「共助」の意識を。

みんなで生き残りましょう。


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